こんな本を読みました

公開日:2019年12月7日

■ 李光洙−韓国近代文学の祖と「親日」の烙印

李光洙−韓国近代文学の祖と「親日」の烙印

著 者:波田野節子
発 行:中央公論新社
定 価:820円(税別)
コード:ISBN978-4-12-102324-7

韓国で「親日」というと、今も昔も「非愛国者」、「裏切り者」といった意味を持っています。
日本の植民地から解放後に「親日」と糾弾され、しかし一方では、韓国の近代文学の祖とされ、その名を知られている李光洙とは、いったいどんな人物だったのか?

李光洙は、貧しい境遇に生まれたにも関わらず、その才能を見出され、高等教育を受けることに成功します。留学生として日本に渡り、学生生活を過ごすとと同時に、日本の植民地支配に対する反日思想とともに、独立運動にも関与していきます。
朝鮮総督府の内鮮一体理論を逆手に取り、朝鮮半島出身者にも日本人と同様の教育を受けさせるべきであると主張します。

そこには、日本の植民地になってしまったことに対する屈辱感とともに、そうなってしまった原因の一つとして、朝鮮民族の近代化が日本より遅れをとっていることに対する忸怩たる思いがあったのではないかと思いました。

1905年(明治38年)に十三歳で初めて東京に来た李光洙は、レンガ作りの西洋建築が立ち並ぶ風景をみて衝撃を受け、そのことを二十五歳で書いた作品「無情」の中で主人公に言わせる形で描いています。
子供の頃に受けた衝撃(感動?)は、大人になっても消えることなく影響を与えたようです。

1937年6月に治安維持法容疑で逮捕され、1940年2月に香山光郎と改名しました。
解放後に、日本へ協力したことに対する弁明を発表しましたが、親日派としての烙印を押されたまま、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争の際に、北に連行されそのまま消息が分からなくなりました。

李光洙は、1941年1月から始まった反民族行為特別調査委員会の尋問で「私は民族のために親日をしました」と述べました。
優れた文学作品をいくつも残した才能は、植民地支配の当時にあっては、精一杯の抵抗をしたのだと思います。
彼の作品を読む前に、本書を一読することで、その作品が書かれた背景がより鮮明になるかと思います。

おまけ

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